

ういろうの小説
『さくら』
芽吹き始めた桜の木に照らす陽の光。明日は、もうちょっと膨らむのかな?小さな葉っぱが出て来るのかな?
自転車を止め、学校に行く途中にある一本の桜の木を見るのが春の日課になっている。私がまだ3歳頃、綺麗に整備された公園の一角に記念植樹されたこの桜も今年で12年目を迎える。
ここは、父がよく散歩に連れて来てくれた公園。
「桜!この木が桜という木だ。父さんが一番好きな花でなぁ。お前と同じ名前なんだぞ。」何回聞いただろうか。桜が好きな父親が名付けた娘の名前も桜。
平仮名で書いていた名前もやがて漢字で書くようになっていた。
家にある本棚には桜の本が沢山並んでいるのだ。父は、桜の研究員である。春になると、どの季節よりも嬉しそうな表情をしている。
そんな遺伝子は受け継がれ、気付いた時には、私も父さんみたいに桜好きに育っていたのだ。
父のように桜の研究員になるのが、私の夢!
「桜!お早う。ねぇー昨日の話の続きを教えて!」
「さや、遅いよぉ。お早う。早く学校に行かないと遅れちゃう。1時限目は、生物なんだから!」
「はい、はい。桜様の大切な生物の授業ですものね。」
彼女は、この記念植樹の時に一緒に父が連れて来てくれた幼馴染のさや。
さやが家に遊びに来ると、父の桜の話をねだり、二人でよく聞いていたものだった。
「『李も桃も桃の内』という言葉を知っているかい?」
「桃は、桃太郎の桃!美味しそう。」
「桜ったら。李は、す桃だから、桃と似ている?」
「すももは、漢字で書くと違うの。」
「えーっ。そうなの?知らなかった!すももももももももものうちー。早口言葉、苦手なのよね…私。」
「きっと李も桃も桃の一種と言う言葉遊びじゃない?」
父は、そんな二人の会話を楽しんでいた。
「すももももももももものうちーはな、おやっ。言えないぞ?李も桃も桃もの内。噛むなぁ。李も桃も…。」
「おじさん!面白いんだけど、話の先が聞きたいの。」
「そうだったな!正しくは、『李も桃も桜の内。』分類学的に言えば、そうなるのだよ。桃と李は別だが、どちらもサクラ属という事だ。」
「ふーん。おじさん、詳しくない?」
「一応、桜で食べているんだが…。頼りないか?」
「うううん!」首をぶんぶん振り、即答である。
「家のパパ、出張ばかりでお話し出来ないもの。お仕事だからってママから言われて、分かってはいるけど、やっぱり寂しいものは、寂しいわ!」
さやの父親は、エリートではあるが、国内から海外迄を飛び回り続けて、最近は年に数回顔を会わせるか会わせないかなのである。
「さや…。こんな父さんで良ければ、いつでも話を聞いてあげて?世間の事は、とんちんかんだけど、桜の話だけは一流よ!」
すっかり照れ笑いなのだか、苦笑なのだか分からぬ表情である。
「さやちゃん、いらっしゃい。」
「おば様、こんにちは!」
「桜のゼリーを作ってみたの。召し上がれ。」
淡い赤と白のワンピースに白いエプロン姿、長い髪をまとめ髪。銀色のトレーに桜色のゼリーがガラス皿に乗っていた。
「やった!桜のデザートシリーズ。こないだの桜のシフォンケーキは、最高に美味しかったよね。今日のゼリーは、どんな感じかなぁ?」
母が作る桜菓子、桜デザート、桜ジュース、桜御飯等々、そのレパートリーの多さに驚くばかりである。
桜の塩漬けが1つ添えらており、季節感と美しさを増すのだ。桜色の透明なゼリーは、窓から射し込む明るい陽の光に照らされて、反射する光がまるで宝石のよう。
「さぁ!二人に問題だ。塩漬けにされてあるこの桜は、何だか分かるかな?」
「えっ?」二人で顔を見合わせて、きょとん。
「桜ならこれ分かる?」
「えっとー。」
ゼリーに乗った塩漬けの桜と顔がくっ付きそうな位顔を近付けて、覗き込み観察を始めた二人。
食べるどころか、桜に夢中になる二人に困惑する桜の母。
「あなた…。二人に食べさせてあげて。」
「そうだな。しかし二人の食い付きようと言ったら、桜研究員の未来は、明るいな。」 屈託ない笑顔で話す桜の父親は、ゼリーを美味しそうに食していた。
それにようやく気付いた二人は、父親に話し掛けようと顔を見ただけで、先に食べようとスプーンで掬い出した。
一口含み「美味しい!」
ゼリーは、瞬く間に姿を消し、塩漬けの桜一輪だけがガラス皿に残っていた。まるでシャーレに乗せた桜一輪を顕微鏡で見ながら、観察が始まるかのようだ。
満たされた味から再び桜の観察が続いた。
「これ八重ね。」
「この色合いといい、花弁や雌しべからして、関山じゃないかしら?」
「そうだわ!以前何かで読んだ覚えがある。桜の言う関山よ、きっと。おじさん、答えは?」
「正解だよ。一般的な八重桜の一種で、育てやすいんだ。商品化されている多くは、関山さ。桜色のイメージにとても合っているだろ?」
正解を得て、ガラス皿に塩漬けの桜を最後スプーンに乗せて、二人は口にほおり込んだのだった。
携帯の音が鳴り響く。
「父さんの携帯よ。」ゆっくりと腰を上げ、携帯電話に応答しながら、書斎へ入って行った。
「ねぇ、桜。昨日の宿題ちょっと分からない所があったの。教えてくれないかしら?」
「私の分かる所かなぁ?」
さやは、鞄から宿題の資料、ノート、筆記用具を取り出した。さやのその鞄は、海外出張の父親からのお土産とあり、母親譲りのHERMES BIRKIN35のブラックバックである。
さやは、ブランドに一切興味がなく、桜と二人で雑誌を見ては、お喋りをしていた時に、偶然さやの持っている鞄が出ていたのだ。
「さや!これさやの鞄とそっくり?」
二人でその値段にひっくり返ってしまった思い出がある。
「これ…ゼロが…。1、2、3、4…。幾ら?」
「一、十、百、千、万、十万、百万…。二百万?」
「二百万〜っ!」顔を見合わせて、ひっくり返った二人。絨毯で良かった。
お小遣い制の二人とも、毎月五千円生活である。必要経費は、サポートがあるが、アプリのお小遣い帳に書き込みながら、金銭感覚を身に付けている。
それが高校生に、二百万円という桁違いな鞄の存在は、「家が買える!」と騒ぎ出す二人。今時この都会で、二百万で買えるような家はない。桁違いな金銭感覚は、まだ未熟。
「さや、この鞄を貰った時、お母様に聞いた?」
「『高校入学おめでとう!パパがプレゼントしてくれて、ママが使っていた鞄だけれど、さやに譲るわ。大切に使ってね!』と言われただけ。」
「さや、お母様素敵ね!」
「何で?」
「そこ、聞く?」
決してさやの家族のように裕福ではないが、知的で朗らかに過ごす桜の家族に憧れていたのである。
さやの母親は、夫が多忙な間、自分の両親だけでなく、夫の両親の世話もしていた。さやは、学校から帰ると両親のいない家に寂しさが募っていた。桜は、一人っ子のさやにとって幼なじみ以上に頼りになる姉のような存在だったのだ。
バーキンでひっくり返った二人は、中古鞄、価値の概念が浮かんだようだ。
「ママが使ったなら、中古!中古よ!」
そんなさやの発言に二つそれぞれスマホで検索した結果、再びひっくり返ったのだ。絨毯は、最高だ!
庶民生活を送って来た二人の高校生には、到底理解不能である。
何?!この鞄!
値段に驚くのも無理はない。女子高生という小娘に、200万円のバックを譲る母親の意味を理解しようと話し出したら、宿題にたどり着く頃は、夜である。
「こんな凄い鞄を入学祝いに譲るなんて…ママ、新しい鞄パパから貰ったのかなぁ?」
「鞄だけで、400万円…。あり得ない。」桜は、開いた口が塞がらない。
さやの日頃の金銭感覚は、似ているのだが、さやはお嬢様と感じるのは、何処と無く飛び抜けた感覚の発言をたまにするからだ。
「さやのお父様、お洒落よね!スーツをビシッと決めて、中学の卒業式の時、入って来た時のあのどよめき!格好良いとか、誰のお父さん?とか、あちこち囁きでざわめいていたわよね。」
「う、うん。まぁ…。」
「あのバックもさやのお父様がお母様に選ぶのも分かる気がする。」
「そこは、娘でも感じているセンスの良さだと思うの。でも当の娘には、微塵も遺伝していないのよねぇ。」
「だからだわ!」
「へっ?!」
「さやのお母様が娘に譲る事で、センスを身に付けるように、無言の教えなのでは?」
「あっ。そうかも。」
「さやのパパ好きは、お母様がさやに大切なプレゼントを娘に託す母親の愛!さやの家族は、会える時間が少ないけれど、確かな絆があるもの。」
「そう?そうかな?私は、寂しいんだけどね。」
「そこよ、そこ。さやは、分かりづらいと思うけど、客観的には伝わって来る思いやり。値段では計り知れない愛情をさやに託しているのよ。」
「分かったような、分からないような。ん〜っ、桜の頭が良いのだけは、分かった!」
「ちょっと、ちょっと、ちょっと!」
「だぁー!」
「だぁー!」
ちょっと懐かしいお笑いを真似して楽しむ、箸が転がっても笑うお年頃なのだ。
会話を楽しむ二人の宿題なんかさっぱり進まない。
宿題を切り出すのは、桜である。化学で習い出したベンゼンの項目らしい。
文章の( )に当てはまる言葉を埋めなさい。
ベンゼンは、( )個の炭素で成り立ち、各炭素は、( )軌道を有している。二重構造のアルケンとは異なり、( )反応ではなく、( )反応が起こりやすい。
さやは、軌道以降が分からない様子。
桜は、得意な理科系。桜という植物を理解する上での基礎知識にも興味が及んでいるのだ。
「ベンゼンって、芳香族化合物じゃない!さや、桜の芳香成分って、何か知ってる?」
「知ってる!クマリン!名前が熊ちゃんで可愛いから、すぐ覚えたわ。」
「ラクトンの一種でね、特殊な方法であの桜特有の香りを放つらしいの。」
「あの桜の香りは、独特だものね。桜の木から香る事ないし。」
「桜の種類には、匂系もあるけれど、あの香りではないよね!」
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