ういろうの小説



『さくら』4

「太白は、里帰りしたの!?」

「それは、太白がなくなったという事?」

太白とは、サトザクラの一種であり、一重の白い大輪の花を咲かせる桜である。

「一度日本では、太白は絶滅したんだ。1932年に香山益彦がイングラムより接ぎ穂を送って貰ったんだ。

つまり今日本で咲いている太白は、里帰りのサトザクラなんだ。」

「接ぎ穂?」

「接ぎ木で同じ太白が宿り続くのかしら?」

「イングラムの台木は、セイヨウミザクラだったから、もしかしたら日本の太白とは若干異なっていたかもしれないね。

日本の台木とは異なる上に、稀にキメラや遺伝子のやり取りがあるからね。」

「遺伝子解析が必要なのね…。」

「日本で絶滅した太白が、イギリスで育てられて、日本に里帰りした太白の遺伝子が同じならば、ロマンね。

でも日本で絶滅した太白の遺伝子情報は、何処にあるのかしら?あやは、どう思う?」

「絶滅した桜の遺伝子情報?タイムマシーンよ!Back to the futureよ!」

さやの発言に桜と父親は、息が吸えなくなるような話し、真剣な眼差しが続いているさやなのだが、話を振ると真剣だったのだろうか?と疑う程、呆気ない視点の言葉で脱気し、ふにゃふにゃになる空間が心地良いのだ。

そんなさやの発言に、またまた大爆笑になるのだ。

ここで父親の登場である。

「台木と接ぎ穂の間に遺伝子交換は、行われないと言われているよ。但し現代の遺伝子科学の進歩は、飛躍的だ。検証結果、覆る事もあろうが。

しかし現実問題、なかなか莫大な研究費用が掛かるので、太白の遺伝子情報を調べるだけでは、研究費は落ちない現状がある。

もっと桜が日本の宝として研究の発展や一大センセーショナルでこの桜文化を守る事が大切なのだよ。

まぁ〜現代に咲く太白は、日本の過去絶滅前の太白の血筋を持っているけれども、全く同じか?と言われると、日本とイギリスの大地、土や水、気象、台木、環境等様々な要素で、突然変異が起きている可能性もあるわけだが・・・。

桜好きは、日本人だけではなく、世界にも虜にするこの花の魅力は計り知れないものだ。そしてこの異国の地に根付き、太白の血筋を強く受け継いた桜なのだ。」

絶滅した太白というこの桜は、絶滅前の「太白」そして現代太白と言われている種が日本各地の大地に根付いているのですが、全てイギリス人の桜好きのお陰なのです。

日本国内で太白桜のお祭りとして有名な地が、「乙黒桜」であります。明治後期、笛吹川の土手沿いに太白が美しく咲いていたようです。その後、昭和初期、笛吹川の河川改修などにより伐採され、桜は姿を消しました。

「乙黒桜」を復活させようと、田中松彦さんが孫木を接ぎ木するなどして、苗木を増やし守り育て、今や甲府市は、太白の街になりました。

日本各地にいる桜守の力が、今の日本の大地に根付く桜という木の花に美しいと感じ、それを伝えようとする桜守の力の連鎖が今に続いているのでしょう。

父親は、再び仕事関係のメールが入り、書斎へと入って行きました。

「イングラムがイギリスに桜を輸入していたのは、いつ頃?」

「いつ頃か調べてみましょうよ。さや!出番。」

「任せて。」嬉しそうに調べ始めたのです。

「出た。明治と大正に日本に来ているみたい。」

「その頃、ロンドンから飛行機なんてないよね。」

「世界大戦は、戦闘機があるよ?飛行機飛んでいたんじゃないの?」

「そっか。イングラムは、どうやって日本に来たの?」

明治や大正という時代は、桜やさやにとっては、江戸時代並みな感覚なのであろう。

現代の100歳のご長老は、大正6年生まれであり、日本の最高齢は明治33年の117歳。

今を生きる世代は、明治、大正、昭和、平成。

桜やさやは、まだ卵から片足を出したような世代である。

イングラムは、どのように日本に来たのか?いつが分かったが、時代背景がまだまだ分からない。

またまた夢中になり出した二人なのでした。

ライト兄弟が飛行機で飛んだのが、1903年は明治36年。やっと人類を乗せた飛行機が登場したのである。

イタリアルネサンス期に天才レオナルド・ダ・ビンチが様々な設計図を残し、人間が空を飛ぶ事を夢見てから、400年位後に現実化された。

ライト兄弟が動力を搭載し、その後、旅客機として運用される迄の歴史は、目まぐるしい発展を遂げる。

ライト兄弟がやっと飛び立つ中、飛行機の歴史は爆発的な発展とは言え、鎖国明けの明治時代、イギリスから日本にやって来たとしても、旅客機が着陸出来る空港が在る訳がない。

桜もさやも気付いた。

「船よね。」

「一体何日掛かるのかしら?私、船酔いするから駄目ー。」

さやは、小さな頃乗った初めての船で、船酔いをした経験が脳裏を過るようだ。

「イギリスから日本の航路は、もしかして!太平洋、インド洋、大西洋ルートなの?」

「えーっ。どんだけ〜っ。」さやは、指を振り振り絶叫風である。

ついつい桜は、吹き出してしまうのだ。

メルカトル図法を思い浮かべている二人。航路における海図としては、この地図は正しい。しかし、この地図で桜が指摘したルートを思い浮かべると、果てしなく遠く感じるのは地図の特性によるものだ。

豪華客船で船旅をする時代ではない。燃料や食料を船旅分積める訳がない。各地の港に停泊しながら、時には気象に左右されながら、病人だって出れば、余儀なく停泊していた事でしょう。様々な問題を抱え、対応しながら、何日も何日も掛けて船旅をしたのであろう。

イングラムの明治・大正時代の船旅は、40〜60日程度かかっていたのではないかと推測されます。

長い船旅は、命がけだった時代。

今の時代、高速化し、旅の醍醐味である時間をかけてゆっくりと各地各地に立ち寄る、じっくりと眺めていた各地の風景も、今やちょっとスマホを見ている間に見逃してしまう程、移動速度が上がり、短時間になっている。

空を飛ぶと、途中の地域は全て上空からの景色のみである。空路になると、目的地以外立ち寄る事は、トラブルがない限り皆無である。

今やロケットでN.Y.東京間が30分の世界になりつつあるのだ。

逆に時間を掛けて各地立ち寄りながらの旅は、贅沢なのではないだろうか?とさえ感じている。






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